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PRO YAMAMOTO_株式会社山元工房

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5魚種制覇・V34 頂点 への道程 山元八郎  連載①

魚との初めての出逢いは小学校4年生の時である。徳島県美馬郡の自宅の傍を流れる清流、貞光川で網で掬った5センチ程の小さなハエだった。太陽に煌めきながら跳ねる姿容はとてもきれいで見惚れていた。

家に持ち帰り、瓶に入れ毎日飽きることなく眺めていたことを思い出す。貞光川にはもっと大きなハエや他にどんな魚が居るのだろうかと段々興味が沸き、学校への行き帰りにいつも川を覗くのが楽しみの一つでもあった。

 

川へ遊びに行くと、いつも近所のおじさんが釣りをしているのでしばらく眺めていた。すると自分も釣りたくなり、仕掛けや釣り方などを教えて貰った。思い立てば即実行で、すぐに竹藪に行き竹を切って帰り、タコ糸の先にテグスの付いたハリを結び簡易な竿を手作りした。

麦飯をエサに一粒ハリに刺して流すと、ブルブルとした感触が腕に伝わりすぐに数匹のハエが釣れた。その醍醐味が忘れられずハエ釣りにのめり込み、夢中で川への日参が続いた。そして近所のおじさんやお兄さんに、もっと大きな魚を釣りたいと教えを請い、自分なりに色々と知識を増やしていった。

また、畑からエサのミミズを掘り起こし、夕方に仕掛けて置いて翌朝に回収に行くとウナギやナマズなどが掛かっていることもあった。

 

中学生になると「コロガシ」と言う釣り方を覚え始めてアユを掛けることができた。釣りあげた鮎を河原に放り上げるとスイカの匂いがプ~ンとし、川魚の新鮮な匂いに感激する。

数匹の掛けたアユを初めて家に持ち帰えると母は、「凄いなあ~!」と大喜びをし褒めてくれた。母に喜んでもらえると良いことをしたと嬉しくなり今まで以上にアユ釣りに夢中になった。夕ご飯に母が炭火で焼いてくれた鮎の塩焼きの味は生涯忘れることはない。

大好きだった夏が終われば年魚のアユも居なくなってしまい、狙いをハエやウグイ釣りに切り替えては釣りに明け暮れた少年時代であった。

 

ある日の事だ。ラジオで名人芸で有名になったタレントの話を聞いていたら、母に「何でも良いから日本一になれば、お金が儲かり好きな物を買えるようになる!」と言われた。「ほんまに何の日本一でも良いのか?」と念を押すとそうだと言った。それからは、なにがなんでも実行することを決意した。早速翌朝、長距離選手を目指し、学校までカバンを担ぎ走ったものの自分の体力なさに落胆し諦めた。

学校の成績は250人中の後半で勉強に関してはもう一つであった。国語の漢字テストを頑張ろうと必死で漢字を覚えると学年で3番に入れ、やれば出来ることを実感するが、やはり興味が湧かない勉強は長続きがせず直ぐに挫折してしまうことになる。しかし根っから好きな魚釣りだけは、絶対に飽きる事がなかった。

 

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