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5魚種覇制覇・V34 頂点への道程 山元八郎⑨
1993年(平成5年)より大手釣具メーカーのダイワが、グレ釣り大会の【ダイワ・グレマスターズ】を全国各地で開催を始めた。各地で地区大会が行われ、上位の方はAブロック大会とBブロック大会に出場し、数名が全国決勝大会に選ばれ参加できる。千数百人の選手の中から16名が選出され、長崎県五島列島で日本最大規模のグレ釣り大会が盛大に開催された。第1回目の優勝者は関東地区の鵜沢正則さんだった。
翌年の平成6年【第2回ダイワグレマスターズ大会】では、Aブロック大会の日振島で勝ち上がり全国決勝大会に出場をする。16名の選手が抽選により4名1組、4ブロックに分かれて戦う。1試合は2時間を釣り座交代してグレ25センチ以上の総重量で競う。3試合の勝ち点によって翌日の準決勝、決勝戦に進出できる大きな大会だけに、地元の市長さん、観光協会、テレビ局関係者、釣り雑誌など十数社が取材に来られていた。
五島列島は、グレの魚影も濃くエサ取りも多かったが、一歩進んだ道具の工夫、手返しなど、引き出しの多さが五島の釣り場で役立ったのだろう。平成6年第2回ダイワ・グレマスターズで、遠投狙いが功を奏し優勝する事ができた。この後も3回、4回、5回大会を4連覇する快挙を成し遂げることができたのは、もちろん潮などの状況と運にも恵まれていたことで奇跡に近いことである。
特に印象に残った決勝戦では、試合開始早々にグレが数匹釣れた。ところが、次第とウマズラハギの25センチ前後の大群が海面までバシャバシャと浮いて、何処にマキエを投入しても通用しなくなり、お互いに悪戦苦闘を強いられていた。ウマズラハギをマキエで沖に寄せて、サラシ場の中にガン玉3Bを打ち早く沈めて探ると高確率でグレを仕留める事ができた。
ある試合では薄暗い時間に磯に上がり、役員の方がセンターラインを決めた。しかし、左側の釣り座は狭く釣りにならないから少しずらしてとお願いすると、この磯に上がった事があるのかと聞かれた。もちろん無かったのだが、渡船を磯に着けるときにライトを照らし磯の形状や底の沈み根の状況が把握できるので、磯に上がる前から観察して置くとポイント選びも優位になる。
ダイワ・グレマスターズで優勝してからは、テレビ、雑誌、ビデオ撮影、原稿依頼など仕事の数が増えると共に、自作の【山元ウキ、山元シャク】などにスポットライトがあたり、少しずつ名前を知られ有名になっていった。あるウキメーカーが山元ウキを作らしてと相談を頂いたものの、自作ウキに対してのこだわりは半端ではなく辞退させて貰った。自社で全ての工程を手作りで仕上げており、1個1個に自信を持って現在も山元工房で制作している。
釣りサンデーより1997年、(平成9年)に別冊【ひらめきグレ釣り】の本を出版すると2回増版する大ヒットとなった。同社より2003年(平成16年)【なるほどグレ釣り】も発売をするが残念ながら、その後暫らくして(株)週刊釣りサンデーは会社を閉じてしまった。
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